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人を切り捨てる社会

7月26日の未明、障害者福祉施設「やまゆり園」で悲惨な事件が発生した。
容疑者の男は自分勝手な考えを主張し、「障害者はいなくなればいい」と言っているそうだ。そのような趣旨を書き連ねた手紙を衆議院議長あてに出している。安倍総理にも伝えて欲しい旨がかかれていたという。きっと、総理なら自分の考えを理解賛同してくれると思ったのではないだろうか。
 安倍総理は、8月3日現在、この事件の犠牲者・ご遺族に対する声明を出していない。海外からは、「嫌悪感を覚える犯罪」「残忍さに動揺する」という為政者の言葉が伝えられるというのに、日本政府のトップ からは「事件の解明を」という言葉のみで、犠牲者やご遺族に対する慰めの言葉、ヘイトクラムを認識する言葉が聞かれない。

 安倍政権が小泉政権を引き継いで進めてきた、改革とやらは、合理化・効率化・如何に利益を出すか等々、人を切り捨て、踏みつけることばかりだったような気がする。そうした中で、競争に負けて社会の底に沈むのは「弱く力ない自分の責任」ということになってしまっているようだ。
 賛同者達は自分達は、決して、弱者の側にはならないという自負があるようだけれど、その根拠は何だろうと聞いてみたい気がする。人は永遠には生きられない。年をとり、病気になり、体の自由が効かなくなり、ということは誰にでも起きうるし、今日、事故に巻き込まれて障害を負う立場になるかもしれない。そういう想像力が持てない人達が増えているのだろうか?

 想像力と共感力、そういう力を持たない人達が大勢を占める社会って?苛めが亡くなるわけもないし、切り捨てるばかりの社会なのだろう。

 私は北朝鮮による拉致被害者救出の運動に関っていますが、横田早紀江さんがいつも言われるのだ。「もし、ご自分のお子さん、ご家族が拉致をされたなら、と想像してみてください。一刻も早く取り戻したいと思うはずです。」そういう言葉に共感できない人達も、「拉致問題」を国家の重要な問題として「利用」はするのだ。「被害者を救出するために自衛隊を北朝鮮へ送れ !」「憲法を改正して拉致被害者を取り戻せるようにしろ!」等と。
 それは被害者やご家族の思いに共感しているから出る言葉ではない。他の目的に為に、拉致問題ひいては、被害者やご家族を利用しているのだ。そしてそれを正義、愛国という言葉で正当化している。人として悲しくないだろうか?
悲しむ人、苦しむ人に寄り添うことはつまらないことだろうか?

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yamazakura
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